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小説家トルーマン・カポーティの代表作『冷血』の、執筆から完成に至るまでをたどる。新聞記事の一家惨殺事件に興味を持った人気作家のカポーティは、小説の題材にすべく取材をしに事件のあったカンザスへ。いつもは社交界で人々の中心でおもしろおかしくお喋りをしているイケスカナイ奴だが、その一方、決して幸福だったとはいえない彼自身の幼少時代がある。華やかな都会の光景とカンザスの荒涼とした風景の対比は、カポーティ自身が持つ二重性を象徴している。
やがて犯人のメキシコ系貧困層の二人組が逮捕される。カポーティは彼らに取材を試み、留置所で容疑者の一人に接触するうちシンパシーを抱くようになる。どこかで人生が狂えば自分がこの犯人のようになっていたかもしれないと考える。 カポーティが持つ影の部分と光の部分という二重性が、裕福で保守的な一家の死と、不幸な犯人という二重性とシンクロしてくる。この事件について綴ることは、結果として彼自身について綴ることになるのだ。カポーティはそのことに自覚的であるわけではないが、直感的にこの事件を小説の題材に選んだのはそういうことだろう。 カポーティは確実に死刑であろうこの容疑者に優秀な弁護士をつけ、裁判を長引かせつつ取材を続け、『冷血』の執筆を進める。犯人たちはこの小説の発表によって、自分たちの罪が少しでも軽くなることを信じている。再三にわたって執筆した原稿を読みたいとせがむが、全然書けていないと平気で嘘をつく。やがて犯人たちが煩わしくなり、裁判が早期に決着することをさえ望むようになる。決着しなければ『冷血』はいつまでたっても完成しない。作家として作品を完成したいという欲望と、犯人との奇妙な友情とがせめぎあう。作品完成のためには彼自身が「冷血」にならざるをえない。 やがて犯人から犯行当日の詳細を聞かされる。凄惨な惨殺現場はこの事件が持つ二重性の衝突の場面でもある。カポーティがこの場面に固執するのは、作品完成のためということ以上に、自己確認のためではないのだろうか。自己の内にあるせめぎあいが衝突した瞬間を疑似体験しているのだ。生々しい告白に悄然とするカポーティ。やがて死刑が確定し、カポーティは死刑執行の場所に立ち会う。殺人現場と犯人の処刑は、『冷血』執筆後におこるカポーティの破滅的な死を想起させる。 主役のカポーティは死刑を望んだりもするが、(映画ではそこまで描かれないけど)死刑をきっかけに彼の人生は破綻への道を進んでいくわけで、そういう意味で、映画に「死刑もの」というジャンルがあるとすれば、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』や『デッドマン・ウォーキング』などと並ぶ作品かもしれない。死刑をめぐる問題を短絡的に捉えず、カポーティという分裂した人物の視線から見つめることで、死刑の周囲にいる人間の弱さを描いている、ということもできる。 主役でプロデューサーのフィリップ・シーモア・ホフマンが、ただならぬ空気感を持つカポーティを、ソクーロフ『太陽』のイッセー尾形同様、ハイパーリアルに演じている。とはいえ私は本物のカポーティは知らないんですけど。
by enikaita
| 2006-10-07 16:47
| 映画
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