「日報」を名乗りながら、更新はときどき。
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イザベラの部屋
f0072231_11472022.jpgベルギーからの刺客、ヤン・ロワース率いるニードカンパニーが『イザベラの部屋』をひっさげての来日公演。

事前に得ていた情報では、ヤン・ロワース氏は同郷の同じヤンであるヤン・ファーブルと同様に美術から演劇に入ってきた人であり、もうアヴァンギャルドでワケワカラン的なことを聞いていたので、かなり身構えて観劇に臨んだのですが、ふたをかけてみると、ちゃんとストーリーはあるし、要所で歌が入ったり、踊りもありの、それなりにエンターテインメント。ヤン・ロワース氏も自ら「ミュージカル」だと言っちゃうくらいですから。

舞台は1910年生まれのイザベラという女性が主人公。冒頭にまず、客電が点いたままの状態でヤン・ロワース氏自身が出てきて自己紹介、舞台上に全ての出演者が登場。基本的に出たり入ったりということはない。そしてそれぞれ「この人は○○を演じます」てな感じで出演者を紹介。これってチェルフィッチュの「○○が○○する場面を今からやります」っぽい。

イザベラは灯台守の養女として育てられ、本当の父母のことは知らない。養父母からは父はアフリカで行方不明になった「砂漠の王子」だと聞かされ、それを信じている。そしていつか、「砂漠の王子」に会いたいと願っている。養母は死去、養父は飲んだくれの日々。イザベラは本当の父を探すべくパリへ行き、養父が昔なぜか集めていたアフリカの古民具に囲まれながら生活。ソルボンヌ大学で文化人類学を学び、文化人類学者になる。養父はこの古民具のことは一切語ろうとせず、自分が死んだときに読むようにと、イザベラに手紙を渡し、やがて自殺。

……とまあ、こんな感じのイザベラ個人のストーリーに、第一次大戦、シュルレアリズム、ヒロシマ、ライカ犬、アフリカの内戦、『フィネガンズ・ウェイク』にデヴィッド・ボウイと、20世紀の各種トピックを絡めながら舞台は進んでいく。死んだはずの養父養母はいつもイザベラにくっついていて、死者とイザベラはいつでも対話できる。死者たちはイザベラの想念がつくりだした幻影だろう。井上ひさしの『頭痛肩こり樋口一葉』『父と暮せば』を思い出す。でもって、イザベラの右脳と左脳はときおりそれぞれ役者によって演じられる。イザベラは死者たちや右脳/左脳などによって微分される。

で、イザベラは自らの出生の真実を手紙で知る。愛人のアレクサンダーは日本の捕虜となりヒロシマにある三菱の鉱山で強制労働させられている最中に被爆、ここで地獄を目の当たりにした彼は、帰国後に精神に異常をきたす。彼の発砲をきっかけにやがてイザベラは全盲に。イザベラにはアレクサンダー以外にも恋人がたくさんいて、やがて黒人との子を出産。70年代後半、老いたイザベラは、実の孫と恋仲になる。その孫であり恋人のフランクはイザベラが憧れていたアフリカの地で内戦にまきこまれ撃たれて死ぬ。また孤独になったイザベラは、生きぬくために彼女の人生とともにあったアフリカの古民具をオークションで全て売りさばくことを決意する。

この作品を読み解く上での切り口はいくつもある。とはいえどれか一つだけ抽出しても作品の全体像はつかめない。ひとつ全体に通底するのは「嘘」だ。イザベラを騙し続けた養父(実は実父)、戦争が終わったことを嘘だと思っているアレクサンダー。飛行機の中で、イタリアから母国ベルギーに行く飛行機を、アフリカに戻る飛行機と勘違いし、「嘘つきだ!アフリカに帰りたくない!」と叫びながら心臓発作で死ぬ、実の孫で恋人のフランク。そして「砂漠の王子」を心の支えに生きるイザベラ。「嘘」が苦しみともなり、絶望ともなり、また心の支えともなる。
そのほかの切り口として、女と男のカンケイや、ポストコロニアリズム、唐突に出てきた「仏教」というのもあるが、イザベラが盲目であるということには注目したい。盲目のイザベラのかけるメガネが直接的に脳に映像を送ることができるようになっていて、全盲でも不自由なく見ることができるというSF的な設定がおもしろい。復員兵の狂人による発砲をきっかけとして全盲になったイザベラの目撃してきた20世紀後半は、彼女にとってはすでに幻影でしかない、つまり「嘘」ということでもある。

この作品はヤン・ロワースの父、フェリックス・ロワースにささげられ、イザベラの人生にはヤンの父とヤン自身がそれなりに投影されているものと思われる。ちなみにヒロシマでの話は彼の近親者の実話を元にしているらしい。あらすじや骨格だけこうやって辿っていくとなにやら陰惨そうだが、冒頭でも言ったことを繰り返すと、歌あり踊りありで、この陰惨さをつねに回避する。

公演終了後に舞踊評論家のTさんとともにヤン・ロワース氏のインタビューに臨む。英語でのインタビューのため、私は全体の5%も聞き取れてないのだが、このもようは『イザベラの部屋』テクスト掲載とともに6月ごろに出るシアターアーツ07夏号に収録される予定。(写真はインタビューに答えるヤン・ロワース氏)
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by enikaita | 2007-04-08 01:11 | 舞台芸術
選挙権なんかいらない!
14人も候補者が立つという、いつものコトながら奇妙な盛り上がりを見せる都知事選がいよいよ迫って参りました。

ちまたでは選挙ポスターの看板があちこちに立てられてるし、「○○さんを応援して下さい!」というメールが来たりと、誰に投票しようかななんて、思い悩んでいましたが、どうも私には選挙権がないらしい、ということが判明。

中学の社会科の授業でのあやふやな記憶をたどると、確か「3ヵ月以上居住していること」というルールがあったはずで(おそらく一時的に住民を移住させて票数を増やそうという不届きな候補者を抑止するため)、私の場合は都内への転入が1月の5日だから投票日である4月の8日にはちゃんと投票権があるはずと思っていたのですが、今に至るまで投票ハガキが届かない。なんだかおかしいなとは思っていたのですが、どうも3・6・9・12月の月初めと、公示日前日に選挙人名簿に登録されるというシステムらしく、おそらくその時点では3ヵ月に満たないため、東京都知事選挙の選挙権はないらしいのです。

マスコミ報道では「主要5候補」という括りになってるらしくて、あとの9人はほとんど無視。その主要候補に「ドクター」が入ってるのも笑っちゃうけど、これって公職選挙法に引っかかるんじゃないかという疑問も持ちつつ、落選を承知で数百万円収めて知事選に立候補する人たちの「叫び」もすこし聞きたいってもんです。

というわけで、公正だけがウリの選挙公報がいちばんマットウな気がしてしまうのですが、これがなかなか味わいぶかい。「タクシー運転手」という肩書きのある候補者は、「バスレーンを客を乗せたタクシーに解放する」という公約を掲げていたり、読む気力を減退させるような小さい文字でびっしりの候補者は、よくよく読めば全体の8割が「私事」だったり、また「作家」の候補者はこのワープロ・パソコン全盛時代にまるで「怪文書」のごとき手書きだったり、職業:ディレッタントの候補者は結局さいごまで「謎」だけが残ったりと、多種多様。こういった候補者たちを「泡沫候補」というらしいです。

その中でもっとも過激な公約である「政府転覆」を掲げる「路上音楽家」の選挙公報は、このなかではレイアウトも工夫されていて読みやすい。過激なのに、そういうところが妙にマットウです。もちろん現職や共産党推薦の候補も当然にしてマットウなのですが、現職の対抗馬である元県知事の候補者の公報はいがいと読みにくい。右側に名前が縦書き、公約は横書きで右左に視線がおよいでしまう。とはいえ、たしか前々回にはいたと思いますが、明らかに電波系の、意味不明な殴り書きを公報に掲載した候補者はさすがにいませんでした。

最近は政見放送というのをゲリラ的(?)に放送していて、こちらでも「政府転覆」候補は過激です。過去に政見放送ではいろいろすごいものを見ましたが、かなり出色。見逃した人はYouTubeで「政見放送」と検索すれば、過去知事選に立候補した「内田裕也」や「東郷健」、謎のおばあちゃん「三井理峯」ふくめ、この候補者の政見放送を見ることができますので要チェック。

この「政府転覆」以上に、さりげなく記載されている現職の公式ホームページアドレスがすごくエキセントリック。「sensenfukoku.net」……宣戦布告って……どこにするのよ? 泡沫候補ならともかく、たぶん再選されるであろう現職知事の、他の追随をゆるさないエキセントリックさには本当におそれいります。

ちなみにこの「宣戦布告.net」の1コーナーである「日本の正式国名優秀作品40」というのがシャレを通り越している。1位は「日本皇国」、2位は「大日本帝国」、3位は「アメリカ合衆国日本州」、4位は「日本官僚社会主義連邦共和国」だそうで、こんな調子で40位まである。あたしゃ卒倒しそうになりました。
とりいそぎ、わたしもひとつ推薦しておくことにします。
「ニッポン資本主義共和国連邦(略してニチ連)」(川村毅『ニッポン・ウォーズ』より)。
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by enikaita | 2007-04-04 21:03 | 時事ネタ


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