「日報」を名乗りながら、更新はときどき。
by enikaita
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おらあコノノだ!
f0072231_114559.jpgここ最近はなんかものすごくバタバタとしているんだけど、にもかかわらず夕方には六本木ヒルズに行ってコンゴのグループ、コノノN°1をみてきました。

フレコミは「驚異のDIYバンド」っていう感じで、メタルパーカッションは自動車のホイールカバー、スピーカーもマイクも廃物利用、エフェクター代わりに王冠(瓶の栓のことね)をくくりつけて音を歪ませた親指ピアノにアンプをつけて、そのアンプもピックアップももちろんリサイクル。でも、そこばかりを強調しちゃうと、R・ルパージュのキャッチフレーズ「映像の魔術師」みたいなもんで、一面しか捉えていないから、けっきょく全体像が歪んでしまう。


6人編成のうちなんと3人が親指ピアノで、これらの音が絡み合ってすごいグルーブ感がたち上がるんだけど、こいつらが実はそれぞれベース、リード、サイドみたいな感じですみわけてて、「手作り」というところからくる素朴さとか、豪快さとかも持ちあわせながら、意外と洗練されているという印象もあった。

約90分のライブの最中、音がとぎれたのはわずか3回くらい。たぶん何曲か立て続けにやったんだろうけど、どの曲もエレクトリック親指ピアノの轟音で、曲の切れ目はわからず。これぞ本物のオルタナティヴ・ミュージック。強烈でした。
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by enikaita | 2006-08-25 23:59 | 音楽
密室のなかの神/ソクーロフ『太陽』
8月15日だからというわけではないんだけど、封切館のシネパトスがある銀座に連日行っているついでに、昼休みに整理券を取得し、ソクーロフ『太陽』の18時45分の回を観た。
開場待ちのあいだ、前の回が終わって劇場から吐き出される客のなかに庵野秀明氏や夏目房之介氏を発見。
新聞でも多く取り上げられたこともあって、小さい映画館なのに『ボウリング・フォー・コロンバイン』のときの恵比寿ガーデンシネマくらいに混雑して毎回立ち見が出ているもよう。そのうち順次上映館が拡大されると思う。

太平洋戦争末期、天皇は地下の密室から密室への移動でほとんどを過ごし、極度に外部から隔絶されている。そこで着替え、食事をし、ときに研究室で平家ガニを観察し、墨をすってひとり歌を詠んでいる。空襲で焦土となった凄惨な光景は、幻想的な映像で綴られ、密室の中の天皇が想像する戦争のイメージとして描かれている。この過去にない太平洋戦争の描写は新鮮であると同時に、妙なリアリティも持ちえている。

一般に太平洋戦争末期を描いた映画やテレビドラマには「定型」がある。太陽が照りつけ、汗だくだくになりながら立ちつくし、「耐エ難キヲ耐エ〜」の玉音ラジオ放送を聴く。この放送をきっかけに、戦中と戦後を対比させるのは戦争ドラマの常套手段だ。
しかし天皇を主人公にした『太陽』で玉音放送を聴く場面がないのは当然だが、もし日本人監督ならば挿入すると思われる録音の場面もない。戦争はあいまいに終わり、いつのまにか駐留軍は皇居の中庭まで入りこんで天皇の写真を撮っている。史実は知るべくもないが、この曖昧な流れが密室の中の天皇が味わったリアリティだとしたら説得力がある。

天皇の「人間宣言」を集約点としたこの映画は、劇中のマッカーサーの台詞にあるような「何百万もの人を殺した男」という天皇認識と、神にされながら息子の身を案じる小さな個人である天皇の姿とのギャップをソクーロフは明快に提示した。
イッセー尾形は、ハイパーリアルな演技で個人が神としてあがめられてしまうことの不可解さや滑稽さをよくあらわしていた。ほかの適任な配役は思いあたらない。

天皇というシステムはしだいになくなっていくべきとわたしは考えているのだけれど、この映画のなかで写真撮影に応じる天皇が、米軍カメラマンに「チャーリー!(チャップリン)そっくり」と囃したてられ、馬鹿にされる場面では、すこし不快な気分になった。天皇なんてまったく自分に無関係なものだと思っていたし、気にしたこともなかったけど、不快な気分になったわたしの無意識には、天皇とか日本とかいうものがどこかで潜んでいたということに、天皇という不可解で滑稽な存在とわたしの関係を考えさせられた。
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by enikaita | 2006-08-15 22:48 | 映画
消えたノイズ
朝起きて、まず窓を全開にし、いつもテレビをつけるんですが、今日はつけた5秒後にぶちっと切れたので、てっきりうちの11インチ・テレビがついにぶっ壊れたのかしら、これでようやく液晶に買い換えだ! と思いきや、テレビの消えるのと同時にご近所の「ブーン」とか「ゴー」とかいう生活ノイズまでもが軒並み消えたことに気づいた。
20分後には復旧したが、停電のあいだ、きき慣れない静寂があたりをつつみ、ふだんがいかにノイズのなかでの生活であったかを思う。
大都市の脆弱性を露呈したとか、テロの新しい標的だとか、いろいろいわれるだろうけど、この停電の副産物はつかの間の静寂だった。もしも夜に停電が起きたなら、静寂は暗闇と書き換えられるだろう。

突然の停電は当然歓迎できないけれど、一年に一回くらい計画的な静寂や暗闇があってもいいような気がしてしまう。本当はどれくらい静かで、どれくらい暗いか忘れてしまっているから。

しかし、オール電化の家とか大変だったろうなあ。やっぱリスクは分散しとかないと。
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by enikaita | 2006-08-14 20:13 | 時事ネタ


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