「日報」を名乗りながら、更新はときどき。
by enikaita
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マリファナ茶
深夜の西友にいた白髪の初老の男とギャルの年齢差カップルは、どう見ても親子くらい年齢が離れているようにみえるんだけど、女性のべたべたした態度からみて、親子にしてはちょっと仲がよすぎる。夜の新宿・六本木界隈だったら風景に溶けこんでさほど違和感がないかもしれないが、24時間営業の近所の西友で腕組んで買い物してたりすると、一気にナマナマしくなる。

この二人がカップルだとして、普段の会話ってちゃんと成立するんだろうか。かたや70年安保を知り、かたやジュリアナ東京すら知らないような感じの年齢と見受けられる。享受してきた文化的背景の違いをカヴァーするためには、先生と生徒、あるいは父親と娘のような関係性がうまれるのだろう。

深夜の無印良品、黒こしょうせんべいを探している私の隣で、なにを買うわけでもなくぶらぶらと商品を物色するギャル風女性が初老の男に質問する。「ねえ、これなんて読むの?」
男は自信に溢れて「ウム、マリファナ茶。」
女「フーン」
えっ!マリファナ茶? 目線の先にあったのはもちろんマリファナ茶ではなく茉莉花茶であった。少し考えれば分かりそうなものだが、そもそもマリファナがなんなのかということを気にしていないらしい。あるいは知っていながら空気を読んで知らぬふりをしたのかも。あるいは惰性の「フーン」だろうか。基本会話は〈女の質問→男の答え(自信満々)→女のフーン〉という流れ。答えが合っているかどうかは問題ではなく、男がとりあえず頼りがいのある態度を保持しながら答えることが重要なのだ。二人の関係はおそらくそれで成立している。
いずれにせよ、無印良品に公然とマリファナがあったらびっくりである。
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by enikaita | 2006-07-28 07:58 | 出来事
ヒゲの生えた女かと思った
Excite エキサイト : 社会ニュース/<厚労省セクハラ>「ひげを抜いて」に賠償命令55万円

完全な誤読なんだけど、このニュース、ヒゲを生やした女性職員に対して、ヒゲを抜いたほうが女として正しい姿だから抜くように強要したのかと思った。そうなると、ヒゲを生やしたままで生活することをなんらかのポリシーにしている女性の思想的な部分をこの男性が否定したことになって、それはそれでセクハラなんだけど、どっちがヒゲを抜いたかがよく分からず、もし男性が女性のヒゲを抜いたとすればセクハラどころじゃなくそれは傷害罪だ。

まあ、もちろん真相はそうではなくて、男性が自分のヒゲを「ねえ、抜いてよ〜」などと女性に懇願し、結果として強要したということなんだろうけど、「ヒゲの生えた女性はいない」という前提においてニュースが書かれていたので、トランス・セクシャルの、ヒゲを生やした女性がいるということをどこかできいたことがあったもんだから、ちょっと混乱した。「藪内笹子」もいるしね。
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by enikaita | 2006-07-27 15:33 | 時事ネタ
紙のギター
f0072231_232418.gifまるで密室だった。
窓がないから外の様子が全く分からない。普段私は腕時計も使わないし、携帯電話の時計表示を見るのもなんだか億劫なので、外の様子がわからなければ現在の時間は判断できない。ただ、まだ夜にはなっていないだろう。おそらく午前から午後にかかる昼の時間だということを予想できる。いま私は結婚式場のとなりの控え室のようなところにいる。蛍光灯ばかりが煌々と眩しい。友人の結婚式に出席しようというところだ。

ここにはこれから結婚式を控えた友人と、数年ぶりに会う旧友とが集っていて、どうやら結婚式の余興に何をするかを最終的に打ち合わせているところらしい。話によると出席するはずの芸達者な友人の一人が急な用事で出席できなくなってしまい、その穴をどう補うかということが主な議題であった。それにしても、結婚する友人にしろ、旧友たちにしろ、全く面変わりしてしまって、誰が誰だかわからない。というよりほとんどはじめて会う人たちばかりのような気がしてしまう。しかも私は「忘却の人」とよばれるほどに長期記憶に弱く、ただでさえ友人の名前をほとんど記憶に留めていないのだった。しかし彼らはちゃんと私の名前を記憶していて、顔を見るなり「久しぶりだなあ」なんて感じで、一様に声をかけてきてくれる。私はなんとかその場を笑顔で応対しつつも、頭の中では記憶の糸を必死に手繰り寄せようとしていた……だめだ。やはりどうしても目の前の連中が何者なのか思いだせない。

しかし一方でこの連中は私のことをとてもよく知っていた。そして、ものすごく頭の回転が速くて、間髪入れず早く喋った。私があいのてを入れるスキは全くない。彼らの一人が、「そういえばお前、ギターの練習していたっけ」なんて話をはじめた。「なら、ギターでも弾いてもらおう」「そりゃいいね」「ギター賛成」「これでようやく」「話がついたわ」なんて、とんとん拍子に話が進み、結局私は結婚式の余興でギターを披露することになってしまった。

しかし私がギターの練習を始めたころは、彼らと別れてしばらくしてからであり、少なくとも彼らは私がギターの練習をしていたことなど知らないはずなのだ。なんでそんな私の個人史を知っているのだろうと疑問に思いながら、もっと重大なことに気づき狼狽した。

それは私がギターを弾けないということだ。ギターを練習していたということは私にとって隠蔽したい個人史であった。まともにコードを押さえることができないから伴奏もできず、「禁じられた遊び」も後半の転調になるとグダグダになってしまう。それに私はリズム感が悪く、人に聴かせられるようには絶対に弾けない。そしてそもそも、もう何年も練習していないからすっかり忘れてしまっていた。この事実に早く気づけばよかったのだが、その時は誰が誰なのかを必死に思いだそうとすることが優先していた。

私は友人たちに断りを入れようと思い、式場に向かった友人たちを追いかけたが、すでに式場の人の群に混ざってしまっており、どれがさっき話をしていた友人だったのか分からなくなってしまっていた。まあ、もしわかったとしても名前がわからないのだから声もかけられない。

私は式場の裏で一人困り果てていた。そこであることに気づいた。
ここにはギターがないではないか。
ギターがなければ当然、演奏を披露することも不可能だ。なぜこの事実に気づかなかったのだろう。私は自分のうっかりぶりを呪いながら、すっかり安心して式場に戻った。ないギターをどうやって弾けというのか。どうしても思いだせない友人たちは私をかついでいたに違いない。

さて、全体照明が暗くなり式場の高い天井が見えなくなって、そのかわりにスポットライトが新郎新婦を照らし、宴がはじまった。隅の席に座りすっかり酔っぱらったところで、私の足元に結婚式の進行係の助手が「そろそろ出番ですので準備をお願いします」と告げにきた。出番もなにも、楽器が弾けない上にその楽器さえないんだから、私の出番はなくなったわけだ。そんなことをこの下っ端助手に説明しても埒があかないので、とりあえずまた式場の裏に行き、進行係にその旨を告げる。しかし全身ヨレヨレの黒い服で雪駄を履いた進行係……というか見た目舞台監督は(この人にはどこかで会ったことがあった)、「ギターなら用意してある」とのたまった。絶体絶命である。

さてその用意したというギターを見て吃驚した。控え室に敷かれたブルーシートの上に置かれた真っ黄色のギターは、段ボール紙でできていた。つくりたてだった。正確にはギターではなかった。なにかの段ボール箱を解体して、ギターの形に切り抜いただけのもので、弦の代わりに細い紐が張ってある。ペラペラの一枚の紙なのだ。もちろん楽器として音が鳴るわけではない。さっき私を呼びに来た舞監助手が「私が急遽つくった」と誇らしげだ。たしかに黄色にペイントされたギター型の段ボールは十分かわいい。しかし今はそんな余裕はない。
舞監助手は続けて言う「アンプを通せば音が鳴ります」。「嘘をつけ!」私は即座に反応したが、それは心の中での絶叫で、実際に口には出なかった。もうなにがなんだかわからなくなっていたし、そんなことを言ってられないような状況が迫っていた。出番までもう時間の猶予はなかったのだ。

司会者の紹介がきこえ、私はスポットライトの下へ案内された。段ボールのギターを手にして。こちらを注視しているであろう人々の姿は、私を照らす何本ものライトに隠されて、誰一人として確認することができない。誰もいないのならそれでいいのだが、ざわざわとした気配がスポットライトの光の向こう側に感じられる。暗黒に佇む匿名性を完全に保持した人々の前に、司会者の紹介とともに晒された私は立ちすくむ。この紙のギターでなにをしようというのだろうか。
そこから先の記憶はない。
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by enikaita | 2006-07-26 20:03 | コラム
コノノNO.1
f0072231_11502374.jpgまたもとりあえず情報だけですが、

コンゴ発、驚異のDIYバンド、「コノノNO.1」が来日です。

1933年生まれのマワング・ミギエンディを中心に、車のホイールなんかを使ったメタル・パーカッションと、瓶の王冠やら何やらで音の歪んだ手製のエレクトリック親指ピアノの轟音が、メタメタにミックスされてもうなにがなにやらよくわからないです。

試聴できます→http://plankton.co.jp/konono/index.html

■WORLD BEAT 2006 
出演:コノノNo.1、ROVO、渋さ知らズオーケストラ
8/27(日)日比谷野外音楽堂
15:00開場・15:45開演〜20:00終演予定
前売6,500円・ペア券12,000円(指定)
東京2公演(8/27野音+9/5クアトロ)セット券:11,000円
発売中:プランクトン、チケットぴあ
問:プランクトン 03-3498-2881
■コノノNo.1
8/25(金)六本木ヒルズアリーナ
17:30開場/18:30開演 前売2,500円(オールスタンディング)
発売中:プランクトン、チケットぴあ
問:六本木ヒルズアリーナ03-6406-6611/プランクトン 03-3498-2881
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by enikaita | 2006-07-25 11:50 | 音楽
ソクーロフ『太陽』ついに公開。
イッセー尾形が昭和天皇を演じて話題となった
ソクーロフの『太陽』が、ついに日本公開です。
8月5日から銀座シネパトスにて。

公式サイト↓
http://taiyo-movie.com/

とりあえず情報だけ。f0072231_21434677.jpg
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by enikaita | 2006-07-20 21:44 | 映画
大島渚監督作品『日本の夜と霧』
なんか不思議な映画。
60年安保闘争のさなかに出会った男女の結婚式会場に、かつての同志たち、そして招待してない奴まで乱入。仲間の自殺の真相をめぐって、「党の方針」にしたがいながら運動を中枢でひっぱった男たちと、「党の方針」に反発していた男たちによって暴露、告発、告白、議論が行われる。

ちなみに「党」とは日本共産党のことだ。ここでいう「党の方針」とはどういうものなのかをかいつまんでいうと、安保反対運動をさらに拡げていくために、先鋭性や難解さを避けて歌やフォークダンスなんかを取り入れて、親しみやすい運動にしていくことだ。

この作品の映像的な特徴は極端な長回しにある。セリフをトチろうがおかまいなしでカメラは回り続ける。俳優は膨大なせりふをその場に応じて処理するのに手一杯で、中にはほとんど棒読みの人もいる。作品中の議論はあまり白熱せずに論理だけが上滑りしていく。しかし議論が上滑りしているからこそ、奇妙なリアリティが表出する。俳優自身の言葉として発語されないが故に、理屈っぽいセリフは異様なまでの緊張感を生み出した。大島渚のカメラはその緊張を逃さない。ヘタクソな演技といえばそれまでのことだが。おそらく実際、運動の内部でこのような上滑りした議論が行われていたのではないだろうか。

「ヒヨってる」という言葉が連発する。今でこそこれが「日和見主義」の事だということは知っているが、この言葉をはじめてきいた時、「ヒヨってる」とは「ヒヨコのように親の後ろをついてまわる」ことだと思った。まあ、実際の意味では大差ないのだから、ヒヨコでもいいのだが、ヒヨってるの「ヒヨ」がヒヨコのことだとしたら、むしろ「ヒナってる」のほうが正しかろう、と勝手に疑問に思っていた。
現在においては完全な死語であり、現在この言葉を日常的に発する人はほとんどいないだろう。サラッと「君、ヒヨってるね」なんていわれた日には、相当にひいてしまうにちがいない。


出演者に超若い津川雅彦、小山明子、渡辺文雄らが出演。
他の出演者やスタッフにも、新劇とアングラ・小劇場の結節点となった早稲田・自由舞台や東大演劇研究会などの出身者が多く、過渡期の演劇を切り取ったものといえるし、資料的価値も高い。党の方針に従う〈新劇〉とそれに反発する〈新劇分派〉、そういう党派闘争からの逃亡をはかる〈アングラ・小劇場〉へのながれがかいま見えるような気もする。
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by enikaita | 2006-07-12 17:07 | 映画
自己愛の果て。
東京・中野の糞尿を庭で煮つめて悪臭をばらまいていた男が逮捕され、テレビなどで顔が晒された。なんかすごくキタナイ事件なので、見た目汚い感じの人なのかと思っていたら、ブラウン管で見る限り、ひげもきっちり剃っているし、そんな不潔なオッチャンにも見えない。
このオッチャンは以前からマスコミでも取り上げられていた。映像ではこのオッチャン、足の皮をぼりぼりとむしりながら取材に応じていた。その時のコメントは「俺は別に臭いものを撒いたおぼえはない」みたいな感じ。

さて、ある心理学者によるとこのオッチャンは自己愛が極度に強いのだという。だから自分の躰から排出されたものを捨てることができない。なぜならそれは自分の分身だからだ。オッチャンが糞尿をため込んで庭で煮つめたり、ぼりぼりと足の皮をはぎながら取材に応じたり、意外と身ぎれいだったりするのもそれで納得がいく。グルーミング好きなのだ。自分のものだから臭くないし汚くない。

こういったオッチャンの一連の行動は全く理解できない……といいたいところだが、私自身にも不思議に捨てられないものがあったのを思いだしてしまう。
それは抜歯した虫歯。猛烈に痛んで私を昼夜悩ませた虫歯は、すでに露髄していて、手の施しようもなく、かみ合わせの歯が生えていなかった(このせいで歯医者に「新しい人類」といわれた)ため、時間がかかる保存治療を断念し、抜歯することにした。
私の奥歯は歯根が捻れていたため、百戦錬磨の歯科外科医を手こずらせた。ペンチのような器具をあてがっているが、自分の口の中をじかに見ることはできないため、具体的にどのような作業をしているのかは分からない。

やがてあきらかな手応えとともに、不格好で大穴のあいた血まみれの歯が一本、口腔内から摘出された。その歯は助手によって洗浄され、小さな透明ポリ袋に入れられ、ガーゼに包まれて私に手渡された。
かつて私の躰の一部であったその小さな歯片が、私を悶絶するほどの苦しみに陥れたのかとおもうと、自分の分身のような気がして奇妙な愛着もわく。
今後なにかの役に立つ可能性はまったくないが、それ以来引き出しの一隅にしまわれたこの虫歯を捨てられないでいる。
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by enikaita | 2006-07-11 19:18 | 時事ネタ
食べれる野鳥
絶滅危惧種の渡り鳥・コアジサシの卵をこっそり採集して食べちゃった男についてのニュースが7月6日の新聞に出た。この68歳の男は中国残留孤児で、現在もほとんど日本語を話すことができない。男は採取した20コの卵をすべてゆで玉子にし、うち1コを食べた。男曰く、おいしくないらしい。

絶滅危惧種の卵を食べちゃったのはマズイが、中国文化で長く育ったのだからしょうがないかもしれない。タレントのアグネス・チャンさんもはじめて日本に来た時、日比谷公園のハトをみて、なぜ日本人はあの丸々と太ったうまそうなハトを食べないのかと疑問を持った。来日後、実際にハトをこっそり捕まえて食した人の話もきいたことがある。

さて、そもそもハトといえども野鳥は捕っちゃダメで、今回のような絶滅危惧種や天然記念物となっては言語道断である。しかし、こともあろうか特別天然記念物の雷鳥を野禽料理(ジビエ)として食べることができる料理店が日本国内にあるらしい。といっても、立山室堂や三俣蓮華岳周辺の雷鳥を捕獲しているわけではなく、ロシアあたりからの冷凍輸入らしい。

コアジサシは夏になると日本に渡ってくる鳥で、海の上空を旋回したかとおもうと急降下しぼちゃんと入水、鋭いクチバシで小魚を捕まえるところから、「鯵刺し」の名がついている。その姿は眺めていて飽きない。
コアジサシの営巣地として一躍有名になったのが、兵庫県明石市の大蔵海岸だ。大蔵海岸は明石海峡大橋を目の前にした砂浜で、01年に花火見物帰りの客が歩道橋で圧死するという事件があったことでも有名。また、同年12月には女児が人工砂浜の陥没で死亡しており、いわくつきの砂浜だ。
整備が終わり2005年夏に解禁する予定だったのだが、約1000羽のコアジサシが営巣しているのを確認し、この年の解禁は見合わせた。しかし06年夏にはついに解禁、すでに営巣しているコアジサシの巣の周辺には柵を設けて、立ち入れないようにしているらしいが、写真で見る限り、砂浜の巣の周り2メートル程度を1メートルくらいのプラスチックの柵で囲んでいては、人は好奇心を示して近づいて来ても、肝心の親コアジサシは警戒して巣に戻ることができないだろう。1000羽のコアジサシが行き場を探している。
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by enikaita | 2006-07-08 01:20 | 時事ネタ
ヤン・ファーブル
ヤン・ファーブルという人物は『昆虫記』で有名なファーブルの曾孫にあたる。遺伝のせいなのかよく分からないが、彼も住居で虫を大量に飼育していて、ときどき解剖したりして和むのだという。やはり変人である。
ヤン・ファーブルは美術家であり、振付家であり、戯曲も書いている。彼の舞台を写真で見たことがあるが、それはパリ市立劇場でのダンス公演で、女性ダンサーたちが舞台上で小便をするというものだった。
今回の『主役の男が女である時』はソロ・ダンスだが、ヤン・ファーブル自身が踊るわけではない。事前情報によるとダンサーはリスベット・グルウェーズという人で、この作品はこの人のために制作されたらしい。しかし今回は都合により韓国人女性ダンサーのスン・イム・ハーが出演した。

開演前、舞台上には中に液体が入っていて蓋のされたボトルが等間隔で並んでいるのがみえる。一つ一つのその上に天井から針金がぶら下がっていて、その針金にボトルをぶら下げることができるようになっている。

照明が暗くなり開演。ダンサーはまずボトルを針金に取りつけはじめた。ボトルは必ず蓋側が下を向くようになっている。パッキンが緩いのか、尿漏れのお爺ちゃんの如くポタポタと少量ずつこぼれる。全部の装着が終わるとダンサーは後ろ姿のままタバコを喫う。

上着を脱ぐと犯罪者の顔隠し用の「目線」の如くに、ダンサーの乳首部分が黒ガムテープによる「チチ線」で隠されている。女であるはずのダンサーが、この一手間で男になるかというと、そんなことはない。ひとまず性別の判定を留保したいというか、性別を明らかにしたくないということへの意識のほうが、この「チチ線」には強いと思う。ダンサーは自分の股間に忍ばせておいた銀の玉を取り出し弄ぶ。この玉は睾丸だ。
その「睾丸」を使った動き。飲み込んだ玉が体の中で暴れる。右肩あたりから腰に玉が移動し、ダンサーは突っ伏す。ノイズ的な音楽に合わせながら何度もこれを反復する。どっかの劇団のワークショップで観たことあるぞ、これ。
1.ピンポン球くらいの大きさの球をイメージしそれを口から呑みこむ。 2.体の中に入ったピンポン球が暴れだすというイメージで、体を動かす。
まあいいや。
この反復は、観る側にとってじわじわと不快なものになっていく。「睾丸」は男を支配するものとして、呑みこまれると体内で暴れ、躰を傷つける。それが何度もくりかえされる。

ダンサーは吊されたボトルの蓋を一つ一つ開けてまわる。中の液体がこぼれだす。ダンサーは「睾丸」である銀の玉を『サヨナラー』と舞台に放り捨て別れを告げ、舞台から去る。
ダンサーは「チチ線」もはずし、完全に全裸で登場し、激しく動きまわる。ボトルからこぼれる液体は水ではなく油だった。(オリーブオイルってチラシに書いてあったのに気づかなかった)黒いリノリウムの上を転げ回ったダンサーは、鉄板の油をのばすかのように、舞台全体に油をまわす。ダンサーの躰も油で光ってキラキラ・キトキトだ。いわゆる「ローション・プレイ」みたいなことになっている。

言い忘れたが、私は双眼鏡で観ていた。「大ホール」と名のつく劇場での公演を観にいく時はたいがい持参する。オペラグラスとは比較にならないほどよく見えて重宝している。今回はソロ・ダンスだし、双眼鏡は有効だろうという予想通りだったのだが、それにしても油まみれでテカテカの全裸女性を二階の隅から双眼鏡で覗きこむのは、ストリップ小屋のようでドキドキする。踊りそれ自体も隠すべきところを隠そうとか、そういう意識は全くなく、むしろワイセツさにチャレンジしている、と思う。双眼鏡で覗きこんでいるところを誰かに見られたらなんと言い訳しようかとすこしだけ考える。
ヤン・ファーブルの作品のキャッチフレーズは「芸術か、ワイセツか」みたいなかんじで、当初からワイセツを意識している。「睾丸」の支配から解き放たれたダンサーの動きは運動量的にはかなりキツそうだ。体力をつけるために筋トレするソープ嬢のことを思いだす(@映画『嫌われ松子の一生』)。
最後は隠し持っていたオリーブの粒をヴァギナからとりだし、マティーニのカクテルグラスに入れて、韓国式英語で「パルフェクッ!(日本式で「パーフェクト」)」と言って終了。

もっと難解な作品なのかなあと勝手に思っていただけに、ちょっと意外な印象。結局タイトルそのまま。「(睾丸を持つ)男は不自由で(睾丸がない)女は自由」っていう作品だと言ってしまえばすごくわかりやすい。でも睾丸がなくなったからといって、実際は自由になるわけではないし、男より女のほうがよっぽど身体的な制限があるような気がするし。すくなくとも女より男のほうがやっぱり自由じゃないの?
てなことを考えるとヤン・ファーブルの「女のからだ礼賛」みたいなこの舞台に対して、ちょっと引き気味な私がいることに気づく。
そもそもダンサーの変更がなければこういった感想は抱かないのかもしれない。

この作品、ディプラッツのような小空間のほうがしっくりくるかな、とも思っていたが、全裸ダンサー登場で考え方が一転した。あからさまに全裸で、しかもワイセツということをそれなりに意識しているとなると、小空間だとストリップとのちがいがいよいよ分からなくなり、シャレにならないのではないか。「芸術」だと認定されるためには、1000人のオーディエンスが必要なのだと思う。
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by enikaita | 2006-07-02 19:33 | 舞台芸術
関東甲信越「小さな旅」
旅に出たい。
……と思い、突然「小さな旅」に出ることにした。
とはいえ、もう既に午後をまわっていて、どこに行くにも時間が遅すぎる。「さいたま」に行くことにした。なぜ平仮名で書いたかというと、行く場所が平仮名だからだ。
彩の国さいたま芸術劇場は埼京線の与野本町駅が最寄りだ。ここでヤン・ファーブルの『主役の男が女である時』というソロ・ダンスを上演している。これを観に行く。

私の住む場所から与野本町までいろいろなルートを採ることができる。赤羽岩淵で下車して赤羽まで少しだけ歩くとか、王子経由とか、地下鉄で池袋まで出てから埼京線とか。今回は上野駅から高崎線を使って赤羽で乗り換えることにした。高崎線は上野を出ると鶯谷のカーヴのあたりからスピードを増し、京浜東北・山手線とは少し外れて尾久というマイナーな駅に停車する。この尾久駅の周辺は鉄道車両の待避所みたいになっていて、カマボコ屋根の客車(いわゆるブルートレイン)がたくさん停車している。寝台列車には乗ったことがないし、内田百閒の『阿房列車』『立腹帖』を立て続けに読んだこともあって、ちょっと乗ってみたいが、値段を比べると飛行機よりずっと高いからますます乗る機会がない。百閒先生も食堂車で夕暮れの景色を眺めつつ飯を食ったりしているが、食堂車もいまや北海道方面の夜行列車のみにある。
『阿房列車』は「なんにも用事がないけれど、汽車に乗」るわけで、汽車に乗るという行為自体が目的となっている。飛行機のほうが安くて早いんだから、高くて遅い今の夜行列車は『阿房列車』そのものの贅沢品だ。

さて、帰宅で混雑する赤羽駅で乗り換え、やがて与野本町に着く。駅前にはスーパー、パチンコ屋、喫茶店、以上終わり。閑散としている。劇場までの道のりも蒸し暑さだけが空しい郊外の風景の中を歩かなければならない。なんでこんなところに劇場があるのか、行くたび不思議に思う。
今日突然思い立ったので、当日券を買い求める。事前の電話で当日券があるという事実だけは確認済みだ。2階席の側面のかなり見やすくないが安い席を選ぶ。時間があるので食事をする。劇場の近隣には焼き肉屋しかない。劇場施設の中にはメニューが一種類しかないパスタ屋がある。それを食う。

劇場に入り、席に座ると安い席だけに舞台が遠い。大ホール観劇用のニコン・ミクロン双眼鏡を手に、開演を待つことにする。(つづく)
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by enikaita | 2006-07-01 10:28 | 舞台芸術


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