「日報」を名乗りながら、更新はときどき。
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『エビ大王』
2階のすごく後ろから観劇。
2005年2月、日韓演劇交流センターのリーディングで『エビ大王』が取り上げられたときは、アングラ系俳優の飄々とした演技が、エビ大王というキャラクターの滑稽さをよく表していた。そのときはこの韓国戯曲がなぜか、日本の「女帝問題」とリンクした社会批評的な側面をもっているなと感じたが、今回はそういった印象はなく、エンターテインメントに徹していた。

金のないリーディング企画とは比較するのもバカバカしいが、いわゆる劇団新☆感線メソッドともいえるようなスタッフワークに目がいってしまう。「バキッ」とか「シャキーン」とかいう効果音が舞台上の動きにピタッと合い、フライングあり、本火あり、ハデハデの照明に、なり止まない音楽。脚本は相当に面白いはずなので、音が入らないと間が持たないとも思えない。いつも観慣れていない過剰な演出効果に、つかこうへい→新☆感線と連なる日本製エンターテインメントの本流を観た気がした。

それはそれで面白かったのだが、
今後、この手のものを観にいくことはあまりないだろうなあ。
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by enikaita | 2005-12-14 20:47 | 舞台芸術
一枚のきっぷ
古本屋で一冊の文庫本を手に入れた。

唐十郎「風に毒舌」(旺文社文庫)。唐十郎は今年、紫綬褒章を辞退したということで話題になった劇作家である。この本は彼のエッセイ集で、劇作同様、次々とくり出されていくイメージのつらなりと、「昭和」の匂いに満ちている。

旺文社文庫はすでに絶版なので、買う場所によっては1000円くらいしてしまうシロモノなのだが、店主が無頓着なのか、この本は50円だった。安い。

帰りの電車の座席に座り、パラパラとめくる。するとはらりと一枚のきっぷがすり落ちた。拾い上げてみると、「上野→営団線120円区間 62.1.27」とあり、入鋏されている。とうぜん裏は白い。どうやら栞として使っていたようだ。昭和62年は1987年、私は当時中学生だった。地下鉄の初乗りは120円だったのか、と感慨に耽ってしまう。入鋏の跡に人の気配を感じた。何万枚ものきっぷに、毎日鋏を入れ続けた、マシーンのような駅員の姿。自動改札が普及した今となっては、「ホントにそんな仕事をしている人がいたのだろうか」と不思議な気分である。

そして、このきっぷの主はおそらくこのきっぷでキセルをしたにちがいない。18年前の1月27日のキセル犯と私は、電車の中で唐十郎のエッセイを読んだという希有な経験を共有することによって共犯的な立場になったのではないかと錯覚してしまう。

きっとここで唐十郎なら、頭の中でイメージを暴走させ、一枚のきっぷをネタにした摩訶不思議に破綻した物語を、あっというまに構築してしまうにちがいない。

唐十郎の毒のせいだろうか、私もすこしだけ妄想力が強くなっている。

▽▽▽
古い文庫本を手にしたことから、18年の時を越えてキセル犯のちっぽけな罪を受け継いだ私は、そのきっぷを「帝都高速度交通営団」に返却しようと思い立ち、きっぷを印伝の財布の中に忍ばせている。しかしすでに「帝都高速度交通営団」はその名前を「東京メトロ」に変えてしまい存在すらしていないではないか。仕方なく、東京メトロに問い合わせてみたが、そのようなきっぷはもう、どうしようもないとのこと。こっそり東京メトロの自動改札に入れても、裏が白いからだろうか、撥ねられてしまった。なんとかして返却しなければ、私に託されたこのちっぽけな罪は消えないのだ。

私は有人改札で返却することを思いつく。しかしいざそこで返そうとすると、どうも駅員の様子がおかしい。私が返却しなければならない相手は、改札の真ん中に立ち、マシーンと化した右手をほとんど無意識に動かしてカチカチ鋏を振るわせている、あの亡霊のような駅員でなければならないのに、有人改札の駅員はこともあろうか、呑気に欠伸などして、椅子に座っているではないか。

結局私は、有人改札でそのきっぷを返すことはせずに、帝都高速度交通営団の駅員の亡霊を探して、地下鉄を彷徨うのだった。
△△△
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by enikaita | 2005-12-07 23:41 | コラム


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