「日報」を名乗りながら、更新はときどき。
by enikaita
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カテゴリ:映画( 20 )
伊藤高志回顧展
f0072231_11556100.jpg映像作家・伊藤高志の作品をまとめて上映中。
演劇やダンスの世界では、ときどきコラボレーターとして名前が出てくるので、その名は聞いたことがあったのだけれど、実際にどんな作品をつくってる人かは知らなかった。

冒頭に上映された処女作にして代表作、『SPACY』(81年)が強烈。
左はチラシでその作品の映像がもとになっている。体育館のような場所に写真が数枚掲げられている。映像が次から次へとジェットコースターのように写真の中に入っていくと、そこは同じ体育館。同じ場面が繰り返され、どんどん加速していく。
映像には、映される対象物があるわけだが、『SPACY』ではその対象物が、今見ている映像自体であるということの拠り所のなさに起因するのだろうか、ともかく、えもいわれぬ恐怖感が襲ってくる。風邪をひいたときに見る悪夢のようだ。
見終わってから数時間経つが、網膜に『SPACY』の映像がこびりついたまま、なかなか日常生活に戻れない。

池袋のサンシャイン60をぐりぐりと回転させる『悪魔の回路図』も衝撃的であった。サンシャイン60を360°同じ距離から一コマずつ撮影し、それをアニメにするという作業。地味な作業の蓄積で巨大なビルをも動かしてしまう。当初は富士山でやるつもりだったそうだ。ぐりぐり廻る富士山も見てみたいな〜。

映像の手法自体はきわめてアナログであり、背後にあったであろう膨大な労力が映像からにじみ出てくる。デジタル処理全盛の現代、ハリウッド映画なんかでは、ともかく「リアル」であることに膨大なエネルギーが費やされるわけだが、そういうのとは全然違うエネルギーの使い方。一般的には見る者の生理に訴えたいがために、映像のリアルさが追求されるのだろうけど、伊藤高志の映像はもっと直球で見る者の生理に触れてくるのである。

伊藤高志回顧展
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by enikaita | 2009-12-01 01:15 | 映画
スーパーの女
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黒澤明の『酔いどれ天使』を借りたついでに、「同時上映」といたしまして、西荻のRENTAL-SHIPで借りたのが伊丹十三監督の『スーパーの女』。たいていいつも、2本借りることにしてます。

『スーパーの女』は、普段はわからないスーパーの裏側を描く。落ち目のスーパーマーケット「正直屋」に主婦目線の助っ人アドバイザー(宮本信子)があらわれ、精肉部の職人で食肉偽装のプロ(六平直政)や、鮮魚部の頑固職人(高橋長英)らをとっちめつつ、ラベル張り替えや、賞味期限切れ商品の扱いなどを改善して、健全なスーパーにしていく、というお話。約10年前の大ヒット映画である。

それにしても、なんで、10年前にこんな大ヒット映画があったのにもかかわらず、いまさら「あんな事件」や「こんな事件」が発覚してるんだろう、と見終わった後に首をかしげつつ、伊丹十三の嗅覚の鋭さに驚く。「あんな事件」や「こんな事件」というのは言うまでもなく、ミートホープに代表される「創意工夫」という名の食肉偽装やら、野菜の生産地偽装、混ざり米、はたまた赤福の消費期限ラベル張り替え等々、ここ数年ようやく糾弾されはじめた食品に関する各種事件のこと。

これ、ほとんどが『スーパーの女』に出てきますよ! 伊丹十三が早すぎたのか、それとも世間が遅すぎるのか。ともかく、ようやく時代が伊丹十三に追いついてきた、ということだけは間違いない。
あるいはおそらく当時はこの映画を、「エンターテインメントな娯楽映画」としてしか認識してなかったのかも。デコトラのカーチェイスなんて破天荒でエンターテインメントですからねえ。でも今見たら、これはタダの娯楽映画ではないことは明白。

ビデオ屋の隅っこで日焼けした背表紙をさらしながら、ほとんど消費されつくしたかのように時を過ごしていた映画が、10年の雌伏の時間を経て、今を鮮やかに照らしだす。あの世の伊丹十三が、頬杖をつきながらこの時代をながめ、「ほらネ、言ったとおりでしょ」と笑っている姿が目に浮かぶ。
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by enikaita | 2008-11-28 01:38 | 映画
酔いどれ天使
黒澤明の映画『酔いどれ天使』を観た。
なんでこの映画を観たのかというと、知り合いの演劇評論家で、最近は「江森盛夫の演劇袋」(エキサイトリンク参照)というブログを始めた、1930年代生まれの江森盛夫さんが、子役で出演しているというのを小耳に挟んだからだ。
江森さんはずっと、雑誌「噂の真相」に劇評記事を書いてた人でして、小さい頃は日本近代演劇のメッカ「築地小劇場」の舞台に立った経験もある。そんなコロボックルのような江森さんの子役時代を黒澤映画で観られるってんだから……って、知らない人には全然関係ない話題ですいません。

上石神井のツタヤに行ってみたら、8月閉店だって? 全然気づかなかったよ。仕方ないので西荻に戻り、ついにレンタルビデオの殿堂「レンタル・シップ」さんの会員に。DVDではなくVHSを借りたのも久しぶり。「レンタル・シップ」の会員証を手に、これでようやく本格的な「西荻びと」になったような気分。それにしてもレンタル・シップ、店の奥が深くなってるのね。全然気づかなかったよ。

さて、戦後すぐの闇市のような風景を舞台に、結核を患ったやくざ(三船敏郎)と、飲んだくれで怒りっぽいが実は情に厚い貧乏医者(志村喬)の交流を軸に、なんやかんやあって……と、いまさらこの名画についての説明は省く。医者の「日本人というのはすぐ死にたがる、自分が犠牲になりたがるからイカン」みたいなセリフで、この映画のテーマみたいなもんがすごく明快に提示される。公開は1948年、「とにかく生きろ」の精神が、ホントに身に沁みる世相だったのだろう。
で、メインのストーリーと全く関係なく、「ジャングル・ブギ」を歌う笠置シヅ子が挿入される。これがものすごいインパクト。こういうぶっとんだ場面をつっこむ、さすがは世界のクロサワ。

最初の方の場面、泥水の中で遊んでる子供たちが出てくる。医者がそこに駆け寄り「こんなキタナイ水を飲んだらイカンぞ!」と子供を叱ることで、医者の人柄をオーディエンスに了解させるという場面なんだけど、そこで叱られ、「テヘッ」と笑顔になるのがおそらく江森さんだろう。

もうビデオカメラが普及してからだいぶ経ってますから、子供の頃の映像が残ってる人も多いんでしょうけど、私なんか皆無ですよ〜。なのに1930年代生まれの江森さんにはそれがあって、しかも撮ったのが世界のクロサワですか! 軽い嫉妬を覚えた秋の夜長でした。
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by enikaita | 2008-11-20 22:10 | 映画
その土曜日、7時58分
f0072231_11573238.jpg名画の誉れ高い『12人の怒れる男たち』の監督であるシドニー・ルメットと、『カポーティ』でほとんど狂気ともいえる演技を見せつけたフィリップ・シーモア・ホフマン。俳優の力を存分に出させる演劇的手法で撮影に臨む名監督と、極限までリアルな造形をを追求してきた怪優。それぞれ濃度の高い作品をつくりだしてきたことで共通している両者がタッグを組んだ映画が、『その土曜日、7時58分』。地味な扱いの映画なんだけど、この組み合わせで面白くならないわけがない。
原題は『BEFORE THE DEVIL KNOWS YOU'RE DEAD(おまえが死んだと悪魔が知る前に)』。

場所はニューヨーク。麻薬に溺れて会社の金を使い込んだアンディ(フィリップ・シーモア・ホフマン)。税務署の査察で事態がバレることをおそれたアンディは、弟のハンク(イーサン・ホーク)を使って自分たちの実家である宝石店を強盗しようと決意。年老いた父と母が経営する宝石店は保険にも入ってるし、実害はないよと言いくるめつつ、実行自体は弟まかせ。弟は自信のなさから、街のチンピラに実行を依頼。自分の保身のことしか考えられない兄と、卑屈きわまる負け犬の弟の浅はかな行為は、すぐに大きな代償となって返ってくる。

兄・弟・父の三人の時間を行きつ戻りつ、ぐいぐいと加速しながら追いつめられていく兄弟たち。一見するとサスペンスの様相。しかしただのサスペンスではない。ここには「母殺し」や、兄弟での「寝取り・寝取られ」、関係者はジャンジャン殺され、はたまた「息子殺し」まで、ほとんどシェイクスピアかギリシア悲劇か、と言わんばかりの古典的モチーフが散らばっている。濃度の高い演技はもちろんだが、そういった古典的題材もこの映画の求心力となって、観る者を引きつける。
古典悲劇的モチーフが散らばりながら、観客にはカタルシス(浄化作用)がない。そういう意味での感動は、この映画には一切ない。カタルシスの発生条件とも言える「主人公への感情移入」がまったくないからだ。主人公のアンディは自分のことしか考られない醜く太った中年で、しかもドラッグ中毒。スゲーイヤな奴。そりゃ感情移入できませんわな。ルメットは観客の感情移入拒否には、おそらくかなり意識的で、それはたとえば、きわめて強烈なファーストシーンにも象徴される。醜い巨体を揺らしたフィリップ・シーモア・ホフマン渾身の演技は必見(笑)、あれは監督的にはゼッタイにはずせない場面なのだろう。
一方で強烈な兄を持った卑屈な弟、ハンクも腹立たしい。ニヤニヤと笑いながら、兄の理不尽な要求をのみ、犯行に使ったレンタカーにはCDを忘れるし、悪党に弱みを握られ脅されるし、娘には「LOSER」 とののしられるダメ親父。正直やってられない。
そして二人の父・チャールズ(アルバート・フィニー)。妻の死の真相を知ろうと奔走するチャールズは、バカ真面目な善人だが、最後の最後になってきわめて周到な殺人者に変貌する。この子供にしてこの親あり、二人の息子とはカードの裏と表のような関係になっている。

でも感情移入できないからといって、共感できないわけじゃない、というのがスゴイところ。それぞれの演技のディティールから溢れてくるのは、「うわっ、こんな人って実際にいるよね〜」、という他者への嫌悪感ならまだしも、「うわっ、もしかしたらこれは、オレなんじゃないか」、という自分自身への嫌悪感である。単純な感情移入を拒否しつつ、観客は映画を観ながら刃を研いで、その刃先を自分自身につきつけるのだ。

観終わったあとは、グッタリとして家路につくこと必定。今年一番のオソロシイ映画である。

公式サイト『その土曜日、7時58分』
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by enikaita | 2008-11-06 12:14 | 映画
タクシデルミア~ある剥製師の遺言
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チラシの売り文句によると、「サンダンス映画祭受賞」なんだけど、通例の「NHKでの放映と出資」が見送られたそうである。そりゃ当然で、こんなムチャクチャな映画が普通にテレビで放映されるワケがない。エンディング・ロールに出てきたNHKロゴがすごくチグハグで、この映画に出てくる唯一の清潔なイメージとして、日本人にしかわからない彩りを添えている。

ハンガリーの親子三代にわたる年代記。祖父は兵士。とはいえ戦争に参加するわけでもなく、上司である中尉の家の便所の隣にある物置で、彼らに虐待されながら奴隷のような生活をしている。
奴隷生活の合間の愉しみといえば、炎と戯れること。ゆらめくロウソクの炎を、舐めるように見つめ、それを吸いこんでは恍惚に浸っている。時にはペニスから炎を吹き出すことも。もうひとつの愉しみは覗き。中尉の妾が入る風呂や便所を覗き、マスターベーションに勤しむ。
ちなみに妾が入っている風呂桶は、ときに赤ちゃんの産湯となり、はたまた棺桶ともなり、解体したブタの盛りつけ皿ともなる。ミソもクソもいっしょである。ある日、まるで盛りつけられたブタのような大デブの中尉の妻に、盛りつけられたブタの上で誘惑され、それがバレて中尉に銃殺される。

中尉の妻は子を宿した。やがて生まれたその子は、母の遺伝子を受け継いで大食い選手権のハンガリー代表に。共産主義政権下においては国民の健康増進のため(?)、国家の威信をかけた大食い大会が行われていた。彼は幼い頃から大食い養成所に入り、コーチと二人三脚で大食いの研鑽を積んできた。体操競技などが強かった東欧のスポーツ事情のパロディである。大食いを通して真剣に人生を語ったりもして、かなり笑える。
競技内容は苛烈をきわめる。「スープ」「固形物」などの種目別で競技が行われ、インターバルにはバックヤードに備え付けのスペースで胃の内容物をすばやく吐き出さねばならない。食べる物体と吐き出す物体の区別は、もはやよくわからない。
競技中に卒倒してしまい、国代表の座を逃してしまう彼だが、女性大食いチャンピオンと結婚。夫婦でキャビア45キロ大食いのデモンストレーションをしている最中に産気づく。

やがて生まれた子・ラヨシュは剥製師に。様々な動物の剥製に囲まれながら生活している。ときには胎児の剥製をつくることも。もと大食いチャンプの父は、巨大な体のせいで身動きできなくなり、ガムを包み紙ごとムシャムシャ食べる怠惰な日々。母は家を出てしまっている。飼いネコに大量のマーガリンを与え、大食いネコを育成しようとする父だが、ラヨシュがネコのオリを閉めておくのを忘れたため、飼いネコにハラワタを食い破られてしまう。死んだ父の肚にワラを詰め込み、剥製にしようとする息子。そこでラヨシュは、あることを思いつく……。

奇想が折り重なり暴走していく。『タクシデルミア』はたしかに過激であるが、それを監督個人の資質に起因するものとして捉えるだけでは何か足りない気がする。東欧の芸術作品に共通する奇抜さ。国家体制がめまぐるしく変わったハンガリーにおいては、さまざまな奇想が生み出されていて、それを受け止めるだけの体制が整っている。そもそも共産主義がとてつもない奇想だったということだってできるわけで。
大量に盛り込まれた奇想によってストーリーは後景となり、残るのは奇妙な運命に翻弄される主人公たちの姿。チラシでは同じ東欧のアニメ作家ヤン・シュヴァンクマイエルをひっぱりだしていたが、監督と同じハンガリー出身の作家アゴタ・クリストフも思い出すし、もちろんエミール・クストリッツァも思い出す。
パールフィ・ジョルジ監督は1974年生まれで、わたしと同じ第二次ベビーブーム世代。先日観た鉄道模型の舞台『ムネモパーク』のシュテファン・ケーギも同世代で、ずっと「不毛の世代」だと思っていただけに、なんか意味なく嬉しくなってしまう。

写真はシアター・イメージフォーラム帰りに見かけたレストランの看板ブタ。
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by enikaita | 2008-04-24 14:02 | 映画
映画「いのちの食べかた」
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中国製ギョーザのニュースでひとつ驚いたことは、あの冷凍ギョーザを一つずつせっせと手で包んでいたということ。ああいう大量生産品はてっきり専用機械で一気にガシガシつくるもんだと思ってたんだけど、やっぱギョーザって、人の手でしかつくれないんでしょうかねえ。

あのギョーザがどのくらいの数で輸入されていたのかはわからないけど、全国のCOOPに出荷されていたわけだから、ギョーザの個数で換算すれば、それこそ途方もない数になる。でも需要があったわけだから、とにかくつくらなきゃ。朝から晩まで、あの極度に管理された無菌室で、防護白衣に身を包みながらギョーザを包む日々は、想像するだけで大変だけど、大量の需要に応えるためには、つくる側は必死です。

で、「いのちの食べかた」っていうドキュメンタリー映画。邦題はドキュメンタリー映画監督の森達也氏による、表向き〈子供向け〉の同名の本「いのちの食べかた」から来てるらしい。屠殺場についての本だ。スーパーマーケットのパックに収まっている牛肉や豚肉が、どんなところで育てられ、どのような流通を辿って、どのように生き物から「食肉」へと変貌を遂げるのか。そこでは動物愛護の観点から「残酷な屠殺と肉食はやめましょう!」とか、そんなヒステリーはもちろんなく、あるいは「全てのものに命があるのだから、ありがたく手を合わせてから食べましょう!」と、宗教じみているわけでもない。この本が書いているのは、屠殺という仕事に従事している人々がいて、食肉流通がなりたっているという、事実。

映画「いのちの食べかた」は、食肉製造の現場だけでなく、トマトや小麦も含め、現代の大量生産の現場をただひたすらに淡々と映し続ける。
まるで「芋ようかん」のように、ぎしぎしに詰められた状態でベルトコンベアに載せられ、超高速で移動するヒヨコちゃんたちや、飛行機で農薬を散布する広大な農場、巨大掃除機で吸われてケージに収まる出荷直前の鶏、くるくる回る乳搾り台に順番に載せられた乳牛、膨大な量のトマト収穫やジャガイモ収穫、吊された牛の肉塊から皮を剥ぎ、血を抜き、脚を切る作業……などなど。

グローバリゼーションが浸透し、一つの巨大な生産現場が世界の「食」を支える。いかに大量に「食品」を製造するか。どの生産現場も極度に合理的なことに圧倒される。それぞれの現場にはそこに従事する人間たちの叡智が込められている。屠殺の現場は分業によって行われるが、それは合理性に基づいているだけではないのかもしれない。さまざまな人の手を経る肉牛から食肉への変貌は、そこに従事する人が感じるかもしれない「牛の痛み」をも、分配する。

この映画には「大量生産品は危ない!」とか、「残酷な屠殺と肉食はやめましょう!」とかいうメッセージはない。また、なんの物語もなく、展開もなく、セリフもない。人間の、日々の必死のたたかいだけがある。
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by enikaita | 2008-02-17 00:35 | 映画
映画「天然コケッコー」
f0072231_19505550.jpgずっと薦められてたんだけど、なかなか読む機会がなくて、ほったらかしにしといたら映画になった。くらもちふさこ先生の『天然コケッコー』。原作を読む前にフライングして、先に映画を見に行きました。

山陰の小さな分校にやってきたのは、東京からきた男子の転校生・大沢広海。女子ばっかりだった中学校(といっても3人だけ)は色めき立ち、唯一の同学年・そよちゃんはほどなく転校生・大沢くんのことが気になりはじめる。でもって、夏にはみんなで海に行ったり、お祭やら修学旅行といくつものお決まりイベントが過ぎていって、大沢くんの母とそよちゃんの父の謎のロマンスを傍らに、受験シーズンがやってくる……という、書いてるだけで、ついぽっと頬を赤らめてしまうようなストーリーです。

映画では主人公のそよちゃん(夏帆)をはじめとして、地元キャラが方言なのもいいんだけど、脇役陣のシゲちゃんと先生の、あまりのリアルさというか気味悪さに唖然。そよちゃんを演じる元リハウスガールの夏帆はすごくキュートで、きっとこれからどんどん人気が出るんだろうなあということはわかるんだけど、私はなぜか顔を覚えられない。映画を見終わって数日経った今、彼女の顔を全く思い出せないという不思議。そういう意味では特徴のない顔なのかもしれないけど、かの宮沢りえについても、私はかつて同様の感想を抱いていたので、私のアイドルを見る目は全くアテになりません。

というわけで、家に帰ってきて早速、原作のくらもちふさこ先生の『天然コケッコー』をひもといてみる。「おっ、出てきたよシゲちゃん」とか「先生、そのまんまじゃん」とか、本来の原作と映画の関係とは逆に、映画の造形を思い出しながら原作を読み進む。で、だいたい5巻くらいまで読んだところで「あれ?」と気づいた。『天然コケッコー』は全部で14巻まであるのに、ストーリーはすでに映画のクライマックスに近づいてるのだ。

つまり映画は中学校の話で終わりなんだけど、原作では二人は進学して、新しい友達もできてと、まだまだ2倍くらい話が続くのだ。だからきっと続編映画「天然コケッコー2」をつくっているに違いない……というわけではないんだけど、映画の続きをこっそり教えてもらったような、おトクな気分になる。

原作ではときどき実験的な方法が用いられていたりする。映画ではさほど重要キャラでもなかった、漫画家志望のそよちゃんの後輩女子、彼女の描くマンガがストーリーと交互に構成され、彼女の気持ちを代弁していくあたりは、とても鮮やか。おなじくらもち先生の『α』も読んだんだけど、こちらも俳優たちのドラマと、彼らが演じるドラマや演劇がテレコになって構成されているという凝ったもの。しかしながら私としては、『北斗の拳』『ハイスクール奇面組』『キン肉マン』などの少年ジャンプ系マンガで、戦うかオチャラケるかのどちらかしか選択肢がないと思って育ってきたせいか、その実験的な手法以上に、こまやかな気持ちの揺れ動きを丁寧かつ冷酷なまでに描き出す少女マンガの基本的なことから学ぶことのほうが多いのです。
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by enikaita | 2007-08-30 19:51 | 映画
映画『オーロラ』
まだ公開前なのだけど、試写会でフランス映画の『オーロラ』を見る。
パリ・オペラ座のダンサーがもりもり出演して、王女さまの見合い話というファンタジー。
理由は全く語られないんだけど、踊ることを禁止されたある王国で、財政難のため王女を金持ちの国に嫁に出そうという側近の提案があがり、王がしぶしぶ承諾。王女の為に舞踏会という名のお見合いパーティをセッティングするんだけど、王女さまは相手に送る為の肖像画を描く宮廷画家と禁じられた恋に落ちちゃう。
でもって、この王女さまは禁じられてるはずの踊りが、なぜかめちゃくちゃ上手いという謎。全体のディティールの説明不足もどこ吹く風、この映画の眼目はダンスそのものに尽きるわけです。

かぐや姫よろしく美貌の姫にお土産持参で迫る各国の王子は、ついでにお国のダンスまで披露するんだけど、その中の一つにジパンゴ王国という、いかにもなのが出てきて、そこで披露した踊りにびっくり。

公開前の映画だから、言わない方がいいのかもなんだけど、簡単に口を滑らせちゃうと、コテコテのバレエ映画にいきなり暗黒舞踏登場ですわ、さすがフランスの映画。
日本では肉体労働でも彼らはヨーロッパではちゃんと芸術家ですからねえ。それにしてもこの暗黒舞踏、ちょっとコテコテ過ぎて古くさい。ここまで暗黒舞踏っぽい暗黒舞踏も今時そうはないです。っていうかこの竹井豊っていう人、いままで聞いたことがないんですよねえ。有名な人なのかなあ。もしそうだとしたら、私の勉強不足です。『舞踏大全』には載ってるのかねえ。
それを見た姫も「あの王子、ヒドイのよ!」って言っちゃうくらいですから。そういうポジションだということを前提にして暗黒舞踏の有名どころが出演承諾するとも思えないですからね。

体が妖精のように浮かび上がっちゃうという場面が映画の随所にあって、その空中浮遊がラストの場面への布石ともなっているわけだし、バレエ自体もいまさら言うまでもなくまさにそういう踊りだから、地を這い、粉にまみれる暗黒舞踏とは相容れないわけで、姫が拒否するのも当然です。
ここで姫が暗黒舞踏に目覚めちゃって、全身剃毛の上、『病める舞姫』でも踊っちゃったら全く別の意味でスゴかったんだけど、さすがにそれではあまりに一般受けしないですからね(笑)。

それにしても、帰りがけに同じ試写会観客の雑談を盗み聴いたんだけど、山海塾風ジパンゴ王国ダンサーのことを「耳なし芳一」と呼んでいたのにしばし絶句。

公開は12月中旬から。
公式サイト『オーロラ』
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by enikaita | 2006-11-16 22:08 | 映画
『カポーティ』
小説家トルーマン・カポーティの代表作『冷血』の、執筆から完成に至るまでをたどる。新聞記事の一家惨殺事件に興味を持った人気作家のカポーティは、小説の題材にすべく取材をしに事件のあったカンザスへ。いつもは社交界で人々の中心でおもしろおかしくお喋りをしているイケスカナイ奴だが、その一方、決して幸福だったとはいえない彼自身の幼少時代がある。華やかな都会の光景とカンザスの荒涼とした風景の対比は、カポーティ自身が持つ二重性を象徴している。

やがて犯人のメキシコ系貧困層の二人組が逮捕される。カポーティは彼らに取材を試み、留置所で容疑者の一人に接触するうちシンパシーを抱くようになる。どこかで人生が狂えば自分がこの犯人のようになっていたかもしれないと考える。

カポーティが持つ影の部分と光の部分という二重性が、裕福で保守的な一家の死と、不幸な犯人という二重性とシンクロしてくる。この事件について綴ることは、結果として彼自身について綴ることになるのだ。カポーティはそのことに自覚的であるわけではないが、直感的にこの事件を小説の題材に選んだのはそういうことだろう。

カポーティは確実に死刑であろうこの容疑者に優秀な弁護士をつけ、裁判を長引かせつつ取材を続け、『冷血』の執筆を進める。犯人たちはこの小説の発表によって、自分たちの罪が少しでも軽くなることを信じている。再三にわたって執筆した原稿を読みたいとせがむが、全然書けていないと平気で嘘をつく。やがて犯人たちが煩わしくなり、裁判が早期に決着することをさえ望むようになる。決着しなければ『冷血』はいつまでたっても完成しない。作家として作品を完成したいという欲望と、犯人との奇妙な友情とがせめぎあう。作品完成のためには彼自身が「冷血」にならざるをえない。

やがて犯人から犯行当日の詳細を聞かされる。凄惨な惨殺現場はこの事件が持つ二重性の衝突の場面でもある。カポーティがこの場面に固執するのは、作品完成のためということ以上に、自己確認のためではないのだろうか。自己の内にあるせめぎあいが衝突した瞬間を疑似体験しているのだ。生々しい告白に悄然とするカポーティ。やがて死刑が確定し、カポーティは死刑執行の場所に立ち会う。殺人現場と犯人の処刑は、『冷血』執筆後におこるカポーティの破滅的な死を想起させる。

主役のカポーティは死刑を望んだりもするが、(映画ではそこまで描かれないけど)死刑をきっかけに彼の人生は破綻への道を進んでいくわけで、そういう意味で、映画に「死刑もの」というジャンルがあるとすれば、『ダンサー・イン・ザ・ダーク』や『デッドマン・ウォーキング』などと並ぶ作品かもしれない。死刑をめぐる問題を短絡的に捉えず、カポーティという分裂した人物の視線から見つめることで、死刑の周囲にいる人間の弱さを描いている、ということもできる。

主役でプロデューサーのフィリップ・シーモア・ホフマンが、ただならぬ空気感を持つカポーティを、ソクーロフ『太陽』のイッセー尾形同様、ハイパーリアルに演じている。とはいえ私は本物のカポーティは知らないんですけど。
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by enikaita | 2006-10-07 16:47 | 映画
『フラガール』
f0072231_11181592.jpg福島の寂れた炭坑町の打開策として計画された、常磐ハワイアンセンター創立の実話をもとにした映画。炭坑町の田舎娘たちがフラダンサーを目指して猛特訓する。

事前情報では『ウォーター・ボーイズ』や『スウィング・ガールズ』みたいな「青春・集団創作もの」といった感じなのかと思っていたし、実態としてもそういう部分は大きいんだけど、むしろ『リトル・ダンサー』『ブラス!』『フル・モンティ』に代表されるような、いわゆる「イギリス炭坑もの」との親和性の方がはるかにつよいし、製作上でもかなり意識しているものと思われる。つまり『ウォーター・ボーイズ』とかよりも、動機に強度がある点でちょっと違いがある。

寂れた炭坑の、男くさい鬱屈したエネルギーが、何らかの表現行動を結果として押し出すという構図がこれらの作品に共通していて、その一連の流れのなかに雇用・労働問題やら、ジェンダーやら、ドメスティック・バイオレンスやらを容易に見出すことができる。でも『フラガール』では、そういったストーリーに派生する社会批評めいたことにはあまり意識が行かなくて、純粋にフラダンスそのものの場面が実はいちばん良かったりもする。
後半、超満員の客席を前にフラガールさんたちがフラダンスする場面があるんだけど、このダンスの運動量ってなかなかきつそうな感じなんですよ。この手の映画にある発表会的な場面って、いがいと印象に残らないことが多いんだけど、この映画は踊りもちゃんとしてる。それになにより観客の描写が圧巻。昭和40年という設定の何百人かの人が客席を埋め尽くし、男は黒ブチメガネに襟のでかいシャツとか、女はおばさんパーマとか、それぞれのディティールがすごいこまかい。フラダンスに合わせて客席全体が体を動かしてしまうという一瞬のカットもリアリティがあって、思わず歴史を目撃したような気分になる。


『フラガール』オフィシャルサイト

常磐ハワイアンセンター(現・スパリゾート ハワイアンズ)
*常磐ハワイアンセンターって名称はなくなってたのか。知らんかった。
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by enikaita | 2006-09-30 11:20 | 映画


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