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『ダーウィンへの最後のタクシー』
楽天団/作=レグ・クリップ、演出=和田喜夫/スタジオあくとれ

この作品は、96年に実際にオーストラリアで起こった、「安楽死」をめぐる事件を舞台化したもの。タクシー運転手のマックス・ベルは、余命6ヵ月を宣告された。彼はオーストラリア北部準州の新法「末期患者の権利法」の新聞記事を読み、安住の地だったブロークン・ヒルから、自分のタクシーでオーストラリアを東から西へ横断しダーウィンまで、「安楽死」への旅に出る。
新法施行直前のダーウィンに着いたマックスは、死の時を静かに待つ。しかしなかなか安らかな死は訪れない。実は医者たちが怖じ気づいているのだ。なかばあきれた彼は、仕方なく再びタクシーでブロークン・ヒルへの帰途につく。

ここまでは完全に本当の話。作家的想像力は、死期が迫るマックスの旅の途中での出会いによって発揮される。
立ち寄った「こざっぱりした町コンテスト」にノミネートしている田舎町では、審査員を迎えてあの手この手を尽くして接待する場面に遭遇。何もないが故に「こざっぱりした町」なのだが、シドニーから来た審査員は一言、「退屈だ」。
途中、アボリジニーの男を同乗者として迎える。彼が語る200年のアボリジニーの歴史。

オーストラリア大陸の広大な砂漠をひた走るタクシーが出会ったのは「オーストラリアの現実」。白人が築いた均質な街がその有効性を失った途端に放り出され、均質な砂漠へと変容する。残るものは何もない。作品中にも掘り尽くされて閉山された鉱山のエピソードが登場する。
オーストラリアに限ったことではない。「何もない町」は私の出身地でも同様である。かつて地元商店街を壊滅させたスーパーマーケットやチェーン店は、人口減少にともない軒並み撤退、日本の田舎にも均質な砂漠は確実に迫っている。

この舞台では主役のマックスは、その「傍観者」的特性のためにブロークン・ヒルから生まれてから一度も出たことのなかった男として設定されているが、本物のマックスはシドニーでボクサー・ゴルファー・ボディーガードといった職業をしていたらしい。なかなかのマッチョである。また、実在の事件をもとにしているだけに、この作品は少なからぬ禍根を残している。実際の安楽死担当医は作家に対して、「一切の取材はなかった。〈芸術〉の名において、マックスの記憶を汚し、私を中傷した」と発言している。確かに作中の医者はかなり悪意に満ちた人物である。途中、アボリジニーの女性が誰も耳を傾けていないであろう騒然とした中で、安楽死に対する反対を訴える場面もあり、作者の安楽死に対する考え方が見え隠れする。

作家自身の考えもあるだろうが、医者はもう少し好意的に、悪意でなく善意として安楽死を捉える人物として描かれた方がいいように思う。しかしこの作品は「安楽死」そのものよりも、「安楽死」を望む男が自分の国・オーストラリアを見つめていくところに主眼が置かれている。それゆえ実は「安楽死」も、その素材に過ぎないのかもしれない。

旅行中のエピソードから主人公が事実に直面していくというのは、いわゆるロード・ムービーの手法である。この作品にオーストラリア白人音楽(カントリー)が一貫して挿入されることもそういった理由だろう。映画的手法をわざと使うことで、小さな劇場に広大な風景を現出させた。とくに今回は「スタジオあくとれ」というスーパー小劇場である。映画化されたらばぜひ観たいが、上記の問題もありなかなか難しいと思われる。
(写真は本物のマックス・ベル氏)
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by enikaita | 2006-02-20 21:50 | 舞台芸術
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