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下北沢の古本屋で岸田理生『糸地獄』の単行本を入手、500円也。中の装幀がいい。A5判が少し縦に伸びたようなサイズ、表紙や見返しは絣の着物のテクスチャー。ページを開くと本文の下には、「さかずき」や「四段はしご」など、さまざまなあやとりのシルエットが図像として描かれている。 ここで『糸地獄』の内容についてはとやかく言わない。第一場冒頭のト書きが私を特に魅きつける。下はページを開いたところの写真。 [以下引用] (写真の右ページのト書き) 間……。音がする。何の音? 水音のようだ。引いては寄せ、寄せては引き……波。そう、波音だ。それからまた、音がする。何の音?(以下略) (左ページのト書き) 不意に光の矢が少女に突き刺さる。 誰かが懐中電燈で少女を照らし出したのだ。 [『糸地獄』8-9ページ] なんとも小説みたいだ。ちなみに、光の矢が突き刺さった少女はそれに反応し、「痛ッ!」と言うのだが、普通にやったら、懐中電燈で照らされた少女が眩しがる、というくらいの場面にしかならないだろう。ト書きは舞台には言葉としては出てこないのだ。「光の矢」という鮮烈な言葉をどう舞台空間に現出させるのか。 ふつうト書きといえば、「昌允、ぢつとしてゐる。立ち上る。ぶらぶら歩く。(森本薫『華々しき一族』より)」てな感じで、淡々としたものが多い。だから、実際に舞台にするときは、どう「ぶらぶら歩く」かは役者や演出家に委ねられている。つまり自由度が高い。もっとも森本薫の戯曲はト書きが極端に少ないのだが。確固とした私世界を構築したいと欲望している劇作家ほど、ト書きはより具体的なものになるのが通例だ(劇作兼演出の人は別です)。 この、小説みたいに洗練されたト書きから感じられることは、「お前ら、勝手にやって俺を愉しませてくれ」とか、「お前ら、俺の言うことをきけ」というようなことのいずれでもない(男口調にしましたが、理生さんは女性です、念のため)。むしろ「上演しないでくれ」であろう。だって、このト書きを読むかぎり、実際の上演より、おそらく上演台本を読んだ方が受け手としてはイメージをふくらませることができるのだから。どんなに必死こいて上記の場面をかっこよく仕上げたところで、懐中電燈に照らされることを「光の矢が突き刺さる」と形容したわずか九文字を超えることができるのだろうか。 この九文字に劇作家の孤独を思う。
by enikaita
| 2008-04-27 22:57
| 舞台芸術
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