「日報」を名乗りながら、更新はときどき。
by enikaita
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せかいのはて
f0072231_1231917.jpg「せかいのはて」で思い出すのは西遊記の一節。
釈迦の手のひらから飛び立った孫悟空。ひたすらに筋斗雲で飛び続け、やがてたどり着いた世界の果てには五本の柱が立っていた。その柱に自分の名前を書きつけ、ついでに小便をひっかけて、記念写真もオマケに撮って、意気揚々と帰ってきたら、釈迦の指にはさっき行ったはずの世界の果ての柱に書きつけた「斉天大聖」の文字。結局、釈迦の手のひらのうえでバタバタやってただけだったという話。

フィリップ・ジャンティ『世界の涯て』はなんともそんな感じの舞台。
さっきまで手のひらの上にあったはずのものや、テーブルの上にあったものが、次には巨大化、あるいは登場人物が小さくなったのか。ともかくスケールが大きく入れ替わり、気づいたらだれかの手のひらの上。

世界の涯てはそれぞれにある。それぞれの世界の涯てがどこなのかは、自身の大きさや位置を知らなきゃわからない。テーブルの上のマグカップにとっては、世界の涯てはテーブルの端っこだけど、何億年も周り続けている彗星にとって、世界の涯てはどこだろう。

まあ、そんなテツガク的疑問は傍らに、登場人物たちは常識的なスケールを逸脱した巨大な人形にもてあそばれるし、巨大なブロンズの手には握られるし、人間大の怪しげな昆虫とダンスも踊るし、小さなトランクからは出たり入ったりする。巨大なものたちと戯れるうちに、登場人物たちそれぞれの「世界の涯て」は揺らぎ、だんだん遠くなっていくようだ。

広い舞台はときおり自在に動くフレームによって、紙芝居のように、影絵のように、映画のように括られる。巨大な舞台上のものたちと、変幻自在のフレームで幻惑される。
トリミングされた舞台の隠された部分では、どうやら次の場面のネタが仕込まれているらしい。舞台裏から「シュー」とか「メリメリ」とか雑音がかすかに聞こえてくる。とりあえず見てる間はタネと仕掛けだらけの舞台に集中して、「せかいのはて」のことはそのうちに考えることにした。
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by enikaita | 2007-11-27 01:14 | 舞台芸術
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