「日報」を名乗りながら、更新はときどき。
by enikaita
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
ADT(オーストラリアン・ダンス・シアター)『HELD』
f0072231_23195631.jpg
(C)Lois Greenfield
この写真に惹かれて、はるばるさいたままでADT(オーストラリアン・ダンス・シアター)の『HELD』を観に行ってきました。

もう忘れかけてるけど、オーストラリアは今年のサッカー・ワールドカップで日本の対戦国だったからなんとなく印象に残っていて、サッカーから勝手に類推しちゃうとオーストラリアのダンスって、「一見鈍重だけどキレがあってパワフル」な感じなのかなと思っていたんだけど、実際観てみるとやっぱりその通りでした。彼らは全員、膝に黒いサポーターをしていて、男も女もまるでプロレスラーの風情。ダンスはブラジルのカポエイラとかからもかなり影響を受けていて、二人で絡むときは特に攻撃的な動き。そしてとにかく、よく跳ぶ。
でも、彼らの動きをていねいに書いてみたところで、それでは作品全体を捉えることはできない。この作品にはとても重要な要素がある。

客入れ時、舞台には二枚のスクリーンがあって、そこにはダンサーのクローズアップ写真が投影されている。やがてADTのダンサーたちと写真家のロイス・グリーンフィールドさんが登場、撮影会となる。シャッターを切るとボッという低音とともにストロボが点灯し、撮られたモノクローム写真は即座にスクリーンに投影される。その写真がどれもこれも精度が高いので、一瞬事前に用意したものなのではないかと疑ってしまったが、ダンサーのポーズをみると、やはりライブで撮影されたものだということがわかる。プロである。カメラは観客にとって三つめの目として機能する。写真家により瞬間が切り取られ、編集された形で即座に提示される。現実に目の前に立つダンサーの身体と、残像であるスクリーンに投影されたダンサーの姿とのギャップが新鮮。ここまで客入れ中。

本番が始まると写真家は舞台前ど真ん中に位置し、写真を撮りはじめる。客席からはちょっとじゃま。シャッターを切るごとにストロボの音と光が空間と時間を切断する。ストロボは観客を冷静な観察者にさせる。ダンサーの跳びはねる瞬間を中心に撮影しているもよう。重力に逆らった瞬間の思いもかけない姿勢となった身体が、次々とスクリーンに投影される。その画像があまりに鮮烈なので、ついついダンサー自体の存在を忘れてしまい画像に見入ってしまうという皮肉。これでいいのか。まあ、ダンサーの方も撮影されることを前提に「いつもより余計に跳んでる」感じ。

近年ビデオカメラを使用するダンスや演劇は枚挙にいとまがないが、どれもたいていパフォーマンス自体との調和をもつことが前提になっている。撮影者が能動的な形で実際の舞台上に存在してしまうということでは、映像作家の飯村隆彦が土方巽の舞踏を舞台上で撮影したものがあるのを思い出した。もちろん土方の時代にはその場で投影できるわけもなく、後日観るための記録映像になる。でまた、それは映像作家の独立した作品ともなる。今回のはダンスとダンス写真という別の独立したものがほぼ同時に提示される。そこではダンスと写真は必ずしも調和し合わない。
ビデオカメラでなく静止画が一瞬を捉えることで、ダンサーが完全に地面から足を離し空中浮揚したようにも錯覚してしまう。舞台上のメインはダンサー自身ではなく写真の方のような気がするので。クラシック・バレエ以来のヨーロッパダンスが追い求めてきた永遠のテーマである重力からの解放が舞台上においてこのような形で成就されようとは。全然関係ないけど、次々に空中浮揚写真が投影されるにつけ、某尊師死刑囚の空中浮揚写真を思い出してしまった。
ちなみに上の写真は本当に一瞬を切り取ったもので、実際のダンサーはこの姿勢で1秒とは止まっていない。
[PR]
by enikaita | 2006-10-01 00:25 | 舞台芸術
<< 仏の競馬 『フラガール』 >>


カテゴリ
以前の記事
タグ
お気に入りブログ
最新のコメント
検索
ブログパーツ
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧