「日報」を名乗りながら、更新はときどき。
by enikaita
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MODE『唐版・俳優修業』
作=唐十郎、演出=松本修/中野光座

もとは1977年の作品。唐作品のあらすじを書くほどバカバカしいこともないが、とりあえず。
夜間高校時代に演劇部に所属し、卒業後は劇団の研修生として街頭劇の舞台に立って、本物の警察官の制服を着ている通称サクランボ・ポリスは、高校の同級生で手品師の坂田と出会う。坂田は高校があった場所にできた警察学校に入っていた。そこで「誰も見たことのないヒトデを持ってくる」と豪語したのち行方不明になっていた。
サクランボ・ポリスは高校時代の恩師、菊池先生を探していたが、頭蓋骨にヒトデ型の穴を持っていた菊池先生は、成田闘争の真っ只中、坂田によってガス銃で撃たれ殺されていた。
ひとり、街頭劇をやめることのできないサクランボ・ポリスの周りで、現実と虚構が交錯していく。
……この後さらに続き、もっとややこしいが、とりあえずここまで。それでもおそらく、他の唐作品よりは整理しやすいと思う。上演時間は短い。2時間弱。

街頭劇の特殊性、つまり避けて通れない現実(例えば雑踏)とつきあわなければならないということが、「役」とそれを演じる「役者」のはざまへとつながっている。登場人物たちはそこでもがく。そこに初演当時の社会問題だった成田闘争が絡む。でも社会問題としては扱われていない。若者群像を描くための素材といった感じだ。

わたしは街頭劇を観たことがないし、成田闘争も知らない。なのでこの作品はリアリティを持ちづらい。
そういう人も多いだろうからと、演出の松本がとった方法が「映像」の使用だろう。『唐版・風の又三郎』でも「映像」を使用していたが、今回は主に「成田闘争」の場面に使用された。実はこれに問題があると考えている。映像と同時に流れる音楽は、知る人ぞ知るNHK「映像の世紀」のテーマソングではないか。このテレビ番組は、歴史的な映像をちりばめながら、20世紀を映像で振り返る10回くらいのシリーズだった。
結局、この曲が象徴しているのかもしれないが、映像を使用することで浮上してきたものは「現実」ではなく「歴史」だった。今回の舞台ではあらゆるものが歴史的なものとしてカギカッコで括られたような印象を受けた。唐作品上演における壁の一つだろう。

それでも、舞台はほとんどが若い俳優(わたしが観たのはプチモード版)で、彼らが意味をも無意味にするような饒舌の台詞と格闘し、絶望的なまでにもがいている姿には感じ入るものがあった。この舞台上にある「青春群像」ともいえるものは、きっと30年前と変わらない。メタシアター的な要素もあるこの作品は、上手い役者がメタ的な部分とドラマ的な部分を器用に演じわけたほうが、その混濁自体も明解になるから面白いのかもしれないが、唐の饒舌はそういう器用さを排除する。経験の浅い役者がやるからしっくりくる、ということもある。

帰りの電車の中で、頭の中に思い浮かぶのは、なぜか70年代ころの「青春」な歌ばかりだ。あと、椎名林檎も。
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by enikaita | 2006-03-27 04:00 | 舞台芸術
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