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泣かないのか、2006年のために〜ポツドール『夢の城』
作・演出=三浦大輔/シアター・トップス

この日は猛烈に忙しい日で、朝起きてすぐに出かけ、ひとしきり用事が済んだらもうすっかり夕方になっていた。
さて、ポツドールの『夢の城』を観る前に腹ごしらえ。ひとりで新宿の「大戸屋」に行く。いつも盛況の大戸屋では相席になった。隣はカップルだったが、このカップルがケンカをしているわけでもなさそうなのに、ひたすら黙々とメシを食っている。本当に全くひとことも会話がない。私は普段からおしゃべりなので、そういうのが落ち着かない。と思ったら、麺つゆの中にうどんをドボンと落としてしまい、カップルの内の女性の方に汁がかかりそうになってしまった。「あっ、大丈夫ですか」「ええ、大丈夫です」……この私との会話が、このカップルが大戸屋で発した唯一の言葉。
あれで楽しいのかねえ、とふりかえりつつ、劇場へ。そしたら、まさにそんな芝居だったからビックリしたってわけです。

ポツドールは岸田賞も受賞した前回の『愛の渦』で初めて観た。人づてにきいた「過激な性描写」や「暴力表現」よりも、「密室内での空気の読み合いと主導権争い」が執拗に描かれていることのほうに興味が向かった。理不尽なまでのトゲトゲしさに、怒りをも覚えたものだ。

今回の『夢の城』は、アパートで集団生活をしている男女8人の、午前3時から翌日の午前3時までの24時間を描く。観客はその室内を観察するのだ。「人間」と書かれた動物園の檻を覗き込むような感覚である。実際にやられることは動物そのもの。交尾、睡眠、排泄、エサの時間。この空間とそれぞれの観客の生活をつなぐ装置は、つきっぱなしのテレビと、蛍光灯の醒めた照明である。

前作と違い、台詞が全くない。「動物」を描くことに徹底したかったからだろう。混沌とした中にも不思議な棲みわけが既に確立していて、理不尽な主導権争いは必要ではないからかもしれない。ただ依然として「空気の読み合い」はずっと持続している。ただ、彼らは「読み合っている」だけで、結局相手が何を考えているかは理解できない。

後半、この動物園の檻に3度の叙情的な場面が訪れる。それらは全て女性によってもたらされた。
ひとつは「料理をする女」だ。自分のためだけでなく、同居人たちのために葱をきざむ。最初の「人間である証拠」だ。出来上がった鍋は、無言のうちにむさぼり喰われた。
ふたつ目は「ピアノを弾く女」。動物のように餌に喰らいつきながら、電子ピアノを弾く。過去にピアノを弾いたことがあるのだろう。かつてあった人間としての記憶を思い出しながら、鍵盤の一音一音を確認するかのようだ。
みっつ目は「泣く女」だ。最終場面の「午前3時」、暗闇のなかで泣き声が響く。その女の泣き声を聞いた男は蛍光灯をつけ、テレビで見たスピードスケートのまねごとをする。女が不意に直面した「現状認識」から目をそらすための「思いやり」である。

このみっつの「人間である瞬間」を描くことで、この芝居は単なる「状況の提示」だけではなく、「演劇作品」として成立し、前作よりさらに演劇的になっていると考えられる。

「空気の読み合い」に終始しながら永遠に続く動物の檻。崩壊しない集団もまた不幸である。
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by enikaita | 2006-03-09 14:51 | 舞台芸術
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